金蘭千里中学校です。
今日は、国語の授業のご紹介です。
中学校一年生の定番の教材に、
ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」という物語があります。
もうすぐ十歳になろうかという主人公の少年は
蝶の収集に夢中になるのですが、
鼻持ちならない隣家の優等生、エーミールの持っていた
「クジャクヤママユ」の標本を盗み出してしまいます。
夢中だった少年はしかし、標本をポケットに突っ込んでしまい、
これを台無しにしてしまいます。
良心の呵責に耐えかね、エーミールに全てを打ち明けると、
彼は静かに軽蔑の目を向けるのでした。
「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな。」
というラストシーンのエーミールの台詞が、
印象に残っている方もおられるのではないでしょうか。
(まことに嫌なやつなのだが、
こいつは教師の息子という設定なのであった……)
筋書きはさほど複雑ではありませんが、
罪を自覚したときの少年の心持ちがとても実感的に
描かれていて、忘れがたい作品です。
とはいうものの。
蝶の収集と一口に言っても、なかなか難しい。
この作品の中にも、ピン留めとか展翅板とか、
収集した経験のない人には、イメージがしづらい言葉が
出てまいります。
こういうのは、論より証拠。
できれば、生徒達に現物を見せてあげたいなあと、
国語の先生も考えるものです。
今回、本校の先生は、藁にもすがる気持ちで
インターネットを探し回った結果、
「千葉県立中央博物館」で貸し出してくれることが分かりました。
(千葉県立中央博物館様、ありがとうございました)
http://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=812
うーむ。残念ながら、クジャクヤママユは大変貴重らしく、
標本は、紙で再現されていました。
しかし、色合いや模様はもちろん、忠実に表現されています。
ポケットサイズでありつつ、思わずポッケに突っ込んだら、
確かに壊れてしまいそう。というか、壊れております!(すごい再現力)
こちらが、展翅板です。
本文には、このように書かれています。
少年が、隣家のエーミールの自室に忍び込んだシーンです。
とび色のビロードの羽を細長い紙切れではり伸ばされて、
クジャクヤママユは展翅板に留められていた。
僕は、その上にかがんで、毛の生えた赤茶色の触覚や、
優雅で、果てしなく微妙な色をした羽の縁や、
下羽の内側の縁にある細い羊毛のような毛などを、
残らず間近から眺めた。あいにく、あの有名な斑点だけは
見られなかった。細長い紙切れの下になっていたのだ。
おお。先ほど見えた目玉模様が、たしかに
紙の下に隠れて、見えなくなっています。
少年は目玉模様を見たいあまりに、
展翅板のピンを外すため手を伸ばしてしまう。
それが、盗みのきっかけになってしまったんですね。
実物を前にすると、そうした主人公の気持ちの移ろいが、
手に取るように分かってきます。
ちょっとしたことなんですが、物語世界への
入り方が、大きく変わってくる授業の工夫でした。
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そのほか作中に出てくる蝶たち(これは実物) |
時を超え、空を超える体験を重ねてほしいと、
金蘭千里は願っています。